大阪万博の開催が決定!もう一度振り返ってみよう

2025年は大阪万博

2025年に開催される万博の開催地が、めでたく大阪に決定しました。

官民を挙げた誘致活動の結果、2018年11月23日(日本時間24日未明)に仏パリで行われた博覧会国際事務局(BIE)の総会における加盟国170ヵ国(のうち、分担金を支払っている国)の投票の結果、共に開催地に名乗りを上げていたロシアのエカテリンブルグ、アゼルバイジャンのバクーを破って大阪が選出されました。

日本での万博開催は、2005年に愛知県で開催された「日本国際博覧会(愛・地球博)」以来20年ぶり、大阪での万博開催に限定すると、1970年開催の「日本万国博覧会」以来実に55年ぶりとなります(「国際花と緑の博覧会(花博)」はここで言う万博(総合博覧会)には含まれません)。

前評判では最有力候補だったフランス・パリが辞退した事で、大阪、エカテリンブルグ、バクーの3都市の争いとなった開催地争いは、票の読めない接戦となりました。

それぞれが誘致活動を行い、票田の獲得を進め、迎えた投票当日。

初回の投票で大阪は過半数の票を獲得しますが、規定となる3分の2には満たなかったため、2位のエカテリンブルグとの決選投票へ。

そして決選投票の結果、90票あまりの票を集めた大阪に軍配が上がりました。

プレゼンテーションでは国際的に活躍するピアニストや、経済担当大臣が登壇し、プレゼン用の動画ではカナダ出身の落語家や、世界的に有名なゲームキャラクター等も登場し、アピールを行いました。

大阪万博はどのようなものになる?

2025年大阪万博の方向性について、プレゼンテーションでは「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとして掲げていました。

「多様で心身ともに健康な生き方」「持続可能な社会・経済システム」というサブテーマと共に、人と社会、双方から平和で豊かな未来を創造することを目的としたものとなる事が予想されます。

また、「未来社会の実験場」をコンセプトに、来場者も参加して未来について考える場にする事が掲げられています。

開催地となるのは、大阪の中西部にある人工島、夢洲(ゆめしま)です。

百人一首に収録されている藤原敏行の短歌「住之江の岸による波よるさへや夢のかよひ路(ぢ)人めよくらむ」からつけられた名で、かつて大阪が五輪誘致を行った際に、その選手村にする計画で造られたものです。

五輪誘致は結局失敗に終わったものの、新たな「夢」である万博の開催地として使用される事になりました。

「もう二度と負の遺産とは呼ばせない」とは、開催地決定後に松井一郎・大阪府知事が語った言葉です。

その言葉通り、「夢の跡」だった夢洲が今度こそ輝き、世界の人達を迎える場となることでしょう。

万博の開催後は、同地に「IR(統合リゾート)」を誘致する計画が立てられています。

東京五輪、大阪万博という2つの大イベントで日本の景気を加速させ、IRによってそれを持続させたいというのが政財界の思いです。

賛否両論はありますが、日本という国がこうした方向へ向かい一つになるという点においては、とてもよいこととして評価されています。

1970年の大阪万博

ところで、1970年の大阪万博はどんなものだったのでしょうか。

50代以上の方であれば多くの方が訪れたか、報道などでその記憶をお持ちだと思いますが、40代以下、特に10代や20代の若い世代では、知らないという人も多いかと思います。

1970年の大阪万博は、戦後初の日本開催の万博として、大阪の千里丘陵(吹田市)で開催されました。

高度経済成長期という好景気にも押され、半年間の開催期間で約6500万人という来場者で大いに賑わいました。

各国のパビリオンが会場内に設営され、近未来を象徴する様々な物が展示されていました。

携帯型電話機や温水式便座など、現代当たり前のように使われている物の原型があり、中には人間洗濯機のような珍品もありました。

現在では空港などでよく見かける「動く歩道」もこの万博をきっかけに日本に普及していきました。

それ以外では、アメリカ館で展示された「月の石」(アポロ12号が持ち帰った物)が大きな話題を呼びました。

そして、この万博のテーマ館の一部として、岡本太郎氏によって製作された「太陽の塔」は、現在でも万博記念公園の地に鎮座しています。

国内外の多くの人を呼び込み、戦後日本において東京五輪以来の一大イベントとなった1970年の大阪万博。

2025年に開催が決定した次の大阪万博も、これに負けないような素晴らしいイベントにしなければなりません。

当時とは、景気も社会情勢も違いますが、官民が一体となって、盛り上げていかなくてはなりませんね。

2025年大阪万博に向けて

会場の建設や交通インフラの整備にかかる費用や、IRを含めた開催終了後の跡地の活用方法等、大阪万博にはまだまだ不安な面も残ります。

しかし、大阪万博の開催に向けて、既にスタートの号砲は鳴らされました。

一人一人が、2025年に向けて何ができるかを考え、未来へ向けた創造をしていく事で、大阪万博を盛り上げていきましょう。