【暇つぶし】出会い系の歴史をたどる(後編)
暇つぶしの記事シリーズです。
今回は、先日ご紹介した出会い系の歴史をたどる記事の後編となります。
ここでは、出会い系の歴史をたどる中で出会い系サイトが今のように発達するまで、どのような方法で人々は出会いを求めていたのかについてご紹介していきます。
文字通り暇つぶしをしたい方向けの記事となっておりますので、仕事中というよりは休憩時間や暇な時間にお読みいただければ幸いです。
出会い系誕生前は何を使ってた?
先日の記事でもご紹介した通り、出会い系と呼ばれるサービスが登場してから間もなく40年という時間が経過しようとしています。
といっても、1980年代初頭はまだまだ出会い系サイトの影も形もありませんでしたから、このくらいの時期は様々な方法で人々が出会いを探しを求めていました。
ここでは、出会い系誕生前にどんな方法で人々が出会いを探していたかについてご紹介します。
家電への電話
まずは家電への電話です。家への電話といえば、極めて難易度の高い方法でした。
なぜなら、女の子の自宅に電話をかけたとしても、本人が必ず出てくれるとは限らないからです。携帯やスマホが当たり前の現代では考えられないことかもしれません。
夜中の時間帯に女の子に電話をかけた時、まず第一関門として相手のお父さんが電話に出ることもありました。
相手のお父さんや家族が電話に出た時、本人に繋いでくれるかどうかも確定ではなかったのです。門前払いされて涙を飲んだ男子も多数いたのではないでしょうか。
出会いを探すというよりは、出会いのきっかけをつくるために意中の女の子へ電話をしていたわけですが、本人につながったとしても長電話はできず、今と比べて不便極まりない方法でした。
友人の紹介
友人の紹介で女の子と出会う。
これは昭和三十年代後半からよくある話でした。
例えば、友人の紹介で飲み会に参加して友達としてまず出会うというのが方法だったわけです。イメージ的には、一人暮らししている友達がいたら、その友達の家にみんなで集まってお酒を持ち寄りパーティーをしていたというイメージでしょうか。
もちろん、一人暮らしの若い人の部屋ですからそこまで広いわけではありません。かなりすし詰め状態でパーティーをしていました。
そこから抜け駆けすることをドロンといったりしましたが、これは90年代前半まで使われる言葉となりました。
合同コンパ(あえて略さず呼びます)
今の合コンとは少し雰囲気が違いますが、合同コンパというものが昔はありました。
やっていること自体は今の合コンと大差ありませんが、当時は合コンと言ってもおしゃれなものではなく、文字通り合同コンパという呼び名がぴったりな、ちょっと昭和の匂いを感じる催し物でした。
ここから出会いにつながり、ゴール・インしたカップルも多数いらっしゃいます。出会い系サイトがなかった時代は、このような合同コンパで出会いを探したり、合同コンパそのものを開くために常日頃から電話で連携をとるなど、涙ぐましい努力がそこにはありました。
ポケベルでやりとり
ポケベルでやり取りできるようになったのは1990年代中盤のこと。携帯電話が出てくる少し前というイメージです。
それまでポケベルは存在こそしたものの、まだまだビジネスマン向けのアイテムといったイメージが強く、そもそも文字でのやり取りは出来ませんでした。
文字の送信機能が付いて女子高生や若い人たちがポケベルを持つようになったのは、結果的に90年代前半から後半にかけてということになります。
この頃になるとメッセージでのやり取りが短いながらも出来るようになりましたので、ポケベルの番号を交換して出会いを探したり、紹介づてでポケベルでのやり取りをするようになったというわけです。
PHSで適当な番号にメール
ポケベルから時代が進むこと、数年。PHSが出てくるようになりました。
当時はまだ携帯電話よりはPHSの方が通信料が安くてPHS同士でやり取りできるメッセージサービスを使う人が多かったのです。
PHSで適当な番号にメールを打って相手との交流を楽しんだり、雑誌などにPHS番号を載せて情報交換をしたり、出会いを探したりすることもありました。
ちなみに、現在では携帯電話でも使われている070という番号ですが・・・元々PHS用に割り当てられた番号でした。
まとめ
出会い系がサービスとして成立するまでの間、人々はこのように涙ぐましい努力で出会いを求めていたのです。昨今の出会い系サイトやマッチングアプリの進化には、感謝するばかりですね。